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6月 '09

またしても長男が発熱して寝込んでいます。今回はいつもより長引いているし、今朝とうとう下痢が始まってしまったので、救急医へ電話。

朝一番に往診をお願いしました。

医者から渡された処方箋を薬局へ持参し、しかるべき薬を手に入れて子供へ与えようとすれば途端に

「どれくらいあげるんだっけ?」と

記憶が危うくなるのはいつもの事ながらヒジョーに不思議。

ドクターからも、薬局の窓口でもきちんと説明を受けたはずなのに、いつもきまって投薬の段階になるとそれがスポンと抜けてるのです。

やれやれ、こまったぞ。

と、薬の説明書を手に取ればさらに困ったの上塗りです。

なぜなら、こちらの薬の説明書はまったくもって難解不可解な表示だからです。

何歳から何歳までならどれくらい、体重がこのくらいならこの程度、とか、何時間おきの食前なのか食後なのか。

そういう急を要する説明と、薬の内容物の説明、製薬会社の紹介、そして投薬方法のややこしさがすべて、

す・べ・て、同じ文字の大きさと同じ色と同じ配列でごちゃごちゃと混ざり合いながら書かれて居るんです。

信じられないほど支離滅裂に!!

それってフランス人相手に

「なぜ今日の待ち合わせに2時間もおくれてしまったのか。しかも、なぜ遅れます、という電話連絡を一度も入れることが出来なかったのか。そしてなぜこちらからの電話にも応対することができなかったのか」

という言い訳を聞かされているのと同じイライラ感が募ります。

まったく!

この説明書を制作したデザイン事務所なり広報部、あるいはこれでGOをだした責任者、呼んでこーい! という心境です。

しかしここはフランスです。

フランス人相手に腹を立てたら負けなのです。

とにもかくにも相手の言い分をキチンと聞いて(頭に入れるかどうかはともかく)、

余分な言葉と装飾を省き、自分の知りたい情報を根気よく(ここ大事)丁寧に聞き取るしか手はないのです。

言い訳が始まったらともかくそれを全部言い終えないことには彼らの気は収まりません。

例え2時間待たされたところで

「だいじょうぶよ、まったく気にしていなから。ではさっそく仕事にとりかかりましょう。なにしろ2時間も押してしまったんですからね」と、

笑顔でこちらが言ったとしても、なにはさておき「言い訳」を言わなくては彼らがそれを気にして仕方がないんですね。

ほんとに困ったものですが。

で、話は薬の説明書に戻るのですが、

その説明の仕方はまさにそういった彼らを育てた「お国柄」がしっかりな文章表現なのです。

日本のように「わびさび」と、ミニマム美を重んずる洗練し尽くされた「粋」とは対極にある、

過剰装飾と上塗り重ねたデコレーション美学とは、安直な言い方で申し訳ないくらいですが「対照的」というほかありません。

焼き固めた一輪挿しに生けた朝顔を愛でる千利休な感性と、ありったけのバラを溢れんばかりに広口耳付きの陶磁器に差し込むマリーアントワネットな感性。

どちらがいいとは言いませんが、私は余分を省くシンプルなスタイルの方が性に合っています。

あまりごちゃごちゃ言い訳をするのも苦手ですし、整理整頓こそ念入りにしますが、家中をなにかで意識的に飾り立てることも好みません。

もちろん必要に応じて「しつらえる」ことはありますが、飾る、なんていうのはしたことがありません。

長男の初節句に手のひらサイズの五月人形を床の間に飾ったのが最後だったでしょうか。

落ち度があれば気持ちを込めて謝罪をし、伝えたいことがあれば要点だけを相手に伝えるようにしています。

だからってわけではないけれど、この薬の説明書きを手にするたびに

「ブルートゥス、おまえもか((Et tu, Brute?)」と、カルセルの気分満載でうんざりしてしまうのであります。

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だから、どれをどんだけ倅に呑ませりゃいいんだい!

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読まなけりゃならない説明書は全部で3枚。まさに忍耐と根気が育ちます。

2 Responses to “薬の説明書にみるフランス文化”

  1. sakae Says:

    こ・これは・・・・キツイ!

  2. mme.oui oui Says:

    sakaeさま
    読み終わる頃には息子の熱が下がってしまいました。。。

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