兄の二人の子のうち男の子は大学受験生の夏で、女の子は米国へホームステイの夏である。
終戦記念日に、ちょうどその娘が米国から戻ったので、ふざけて叔母は英語で挨拶をしたのだが。
4週間も異国にいたというのに英語の上達なぞひとつもなかった、という姪っ子だ。
話を聞けば「電子辞書」を持参したから意思の疎通はそれで全てオッケー、ステイ先の子供二人は姪っ子の一つ上と一つしたの女の子で、
ともに「アニメオタク」で日本語猛勉強中であったから、ほとんど日本語ばかりを喋っていたそうである。
終戦記念日の日、私は父と息子達と仏壇のある部屋で頭を垂れて黙祷をささげた。
父は終戦の日、「これからは英語なのだ」島国に新しい言葉と習慣がやってくる、
英語くらい話せなくては商売も成り立ちはしないだろう、と、挑むような気持ちで英語に取り組んだと話してくれた。
今年は終戦66年。
66年前に英語と米国文化に挑んだニッポン人の子孫はいま、米国の一般家庭へお邪魔して一言も米国語を話さず生活の用を足し、日本へ無条件降伏を呑み込ませた米国人の子孫たちはいま、ニッポン文化の漫画に傾倒して日本語を懸命に習得しようとしている。
半世紀以上も前にハリウッド映画とジャズに傾倒していた私の父と、
半世紀後にアニメオタクとなって、なんちゃって女子高生の格好ではしゃぐ米国少女たち。
ニッポンは「無条件降伏」なのだから米国がなにをどうしようと、一言も口を挟めず、米国という新たな保護者に追従するしか生き延びることが許されなかった。
けれど今、時代は欧米何処も「ニッポンブーム」である。
米国の寿司レストランではにぎり寿司に「ポン酢」(ものすごく甘い)をつけて食べているし、パリの寿司レストランの巻き寿司にはヌテラ(チョコレートクリーム)が巻いてある。
まぁ、これは無条件降伏の結果ではないだろうけれど、いかなる姿に変身しようと、それは寿司じゃないよ、と口を挟めなかった事の結果であることは間違い無い。
それでもそれはそれで「マズイ!」とバッサリ切り落とせるモノじゃない。
日本の文化が世界各国でその土地に馴染みながら変身して根付いて行くのだって悪いことじゃない。
姪っ子なんざ好きな寿司はカリフォルニアロール!なんて平気で寿司屋で言ってのける現代っ子なのだ。
あちらのことばは日本頭脳産業の落とし子「電子辞書」におまかせで、こちらの言葉を習おうとしてくれる人がたくさんのあちらの現代っ子事情。
こうして戦争であらされた大地は時間に平たくならされて、人も文化もゆったり融合していくのかもしれぬ。
島国ニッポンは今後どのように世界へ馴染んで、馴染まれて行くのだろう。
おもしろいなあ、人は。
おもしろいなあ、世界は。
終戦記念日の夜、父と兄と夜遅くまで旨い酒を頂いた。
第二次世界大戦終戦後建築
8月 18th, 2011 at 10:20:20
もはや文化的にも血縁的にも純潔な日本人は皆無に等しきですな。
9月 2nd, 2011 at 12:45:22
sakae さま
ニッポン文化の継承に懸命なパリ生活です。