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3 月 '07

今朝日めくりをめくれば3月3日だった。

桃の節句だなぁ。とおもうと何故かしみじみ嬉しくて、東京の家へおいたままになっている小さなひな人形を思い出した。

毎年お節句の季節になると小さな桐の箱から取り出して、玄関脇の靴棚の上へ桃の花と共に飾ったりしていたが、夫ひとり残るあの家ではお雛様達も日の目を見ることなく2年前に私がしまったときと同じ状態のまま戸棚の奥でひっそりとしているだろう。

小学校3年生の頃だったとおもう。

旅行から戻った母親が「お土産」に買ってきてくれた手のひらに載るちいさな桐の箱。

引き出し式の蓋を開けると中にピンポン球よりも二回りほどちいさなお内裏様とお雛様が入っていた。

木を丸く加工し、繊細な漆塗りを施された上に細かい流線の書き込みが加えられたその夫婦は、仲良く桐の箱に収まって、子供心になんて可愛らしい愛おしい人形だろう、と感心し、ひとめで気に入った。

それは毎年飾られる雛人形の横にいっしょに飾り、その小ささから他の節句人形とは別に常に私が管理し保管していたから、自分が所帯を持つときに、迷わず梱包される荷物の中に収めていっしょに持ってきたものだ。

女の子に恵まれなかった我が家だけれど、その雛人形はそのコンパクトさから出し入れの容易さ、置き場所にも困らず、とても便利に私の結婚後の桃の節句を彩る大事な人形となっている。

もともと抱えるほど大きなお内裏様とお雛様の2体に加えて、ガラスのケースに入った藤人形と、最小限の飾り付けしかなかった私のお雛様。

余所の家にくらべて大きさばかりが幅を取り、小さなものが細々集まる可愛らしい楽しさからは無縁のそれらが、私は正直かなり嫌いであった。

大きいために出すのも組み立てるのも簡単で、その支度はあっという間に済んでしまう。それも何となく物足りない。

ただ人形を並べ終わった後に祖母が手作りしてくれる雛あられと菱餅はどこの菓子屋で買い求めるものよりも一番美味しく、それが誂えられると嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

いまでもその味が懐かしい。祖母の拵える季節の菓子は私のもっとも旨い記憶のひとつである。

なぜ三人官女も五人囃子もいないのか、幼少の頃は「雛祭り」の歌をうたいながら自分のお雛様を不思議に思っていた。

小学生のころひな人形を飾ってくれている祖母に「どうしてうちにはお雛様戸尾内裏様しかいないの?」と訪ねたら「○○が生まれたときに雛人形を買いに行ったおっかさんが『細々しているのは出すのもしまうのも面倒だから、ここの店にある一番大きな人形を一対買って帰るつもりだ』と言ったんだよ」と聞かされた。

私の母は家事についても、従業員を抱えて家業を営む商家を切り盛りする才能にも文句のつけようもなかった出来る女性であったが、優先順位のつけかたにいささか男性的なところがあったようだ。

女性らしい柔らかいモノよりも、実用的な洗濯に耐えられる「木綿」を選ぶような、 小さな小皿に一人分づつもりつける刺身よりも、大皿にどっさり盛りつけられた刺身を好むようなところがあった。

そういうことを合わせて考えれば「出すのも仕舞うのも面倒だ」というのは彼女の正直な気持ちだったのだろう。

サラリーマンの家から23歳で商家へ嫁ぎ、明治生まれの姑夫婦と、まだ学生の身分であった夫になる男性の3人の妹たちに囲まれた彼女の生活は大変な気苦労があった筈だから、細々したモノを出したり仕舞ったりするような優雅な時間を持てる気持ちがなかったのだろう。

嫁というものに「忙しい」という言葉が常套句として許可されない時代だったからこその発言でないかと思われる。

コマネズミのように一日中くるくると動きづめに動いていることを周知されていても、節句の時期に人形を飾らないことがあれば「嫁の落ち度」となることを、彼女はきちんと心得ていたからこそ、出し入れに時間のかからないところに合理性を求めたのだろうと思える。

若くして亡くなったために聞きたいことも聞けず仕舞いでその縁が途絶えてしまった親子だから、ほんとうのところはわからない。

29歳で私を生んだ母はすでに嫁いで6年が経過し、慣れない環境での疲れが20代最後の年齢の中に残りつつあった頃だろうと推察される。

そんな中で可愛らしさよりも「出し入れしやすい」ことを選んでしまったのは中年にさしかかる前の若さがそうさせてしまった彼女の意地のような気さえする。

人形などあればいい、節句の時期に飾ることができればそれでいい、という少々投げやりな気持ちもあったろうと思う。

そして39歳の母が私に贈ってくれた木工細工の雛人形は、 その時とは違う子育てを一段落させ、小姑達も嫁いで出払い、商家の生活にも慣れた気持ちの余裕から生まれた「詫び」の現れのような気がする。

深読みかもしれないけれど、そういった様々を過ごした母の年齢をすぎた今だから、こんなふうに雛人形ひとつから彼女の気持ちを推し量ろうと思えるのかも知れない。

パリの部屋に雛人形はないけれど、近所のルクセンブルグ庭園へ出向き、桃の花を愛でてこうと考える。

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