みなさんから受け取る写真

パリ個人ガイドをしていて嬉しいことは、もちろんいろんな人たちとの出会いであるけれど、時間がたって「ああ、嬉しいなあ」と感じること。

それは写真を送ってもらったとき。

「○○さんと取った写真です」という挨拶とともにメールに添付されて受け取る写真の嬉しいこと。

ガイドした方達、お預かりしたお子様達と一緒に撮った写真が1週間後くらいで届いたりすると、自然に顔がほころんで「ああ、楽しかったなぁ」となる。

写真を請求するわけではないけれど、たしかに何枚もいっしょに写真に収まったはずなのに、一枚も送られてこないこともある。

いままでお世話になった方達は何百人もいらっしゃるけれど、たった1日のガイドだけでも、記憶に残る方と残らない方がいる。

記憶に残るのはガイドをしているその時のことではなくて、後日受け取る画像によって私の記憶に残されるようだ。

日が経ってから送られてくる写真で「ああ、このときはこんなことがあった、あんなことを喋った」と、経験が思い起こされてその方のお顔がバッチリ記憶に留まるらしいのだ。

立て続けに1週間ガイドをさせていただいた方達のことは写真なぞなくたって、しっかり記憶に残る。それはあたりまえのこと。

今までに受け取った写真を時々眺めながら、いっしょに写っている方達のことを思う。

初めてのパリ旅行で緊張している方、何回目かのパリですっかりリラックスしている方、同伴のご主人と喧嘩中の方、子ども達の世話でぐったりしている方。などなど。

いろんな状況の方たちと撮った写真には、そのときの言葉と気温と時間もしっかり写っている。

懐かしいなあ。楽しかったなぁ、またの機会があればお目にかかりたいなあ。と、なるべく陽気なことへ目を向けて、間違っても「私も若かったわ」などとは決して思わないようにしているのである。

 

 

 

 

 

モンマルトルのフォンテーヌ

モンマルトルの丘、芸術家村を抜けて下り坂にさしかかったところに、目立たないフォンテーヌがある。

rue NORVINSをrue REPIQUEへ向かう角。

ゴシック建築の建物、というより、東屋のようなものがあって、そこは小さな画廊のようだけれど、建物の裏側に回ると小さな庭とフォンテーヌのかわいい空間になっている。

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お買い物同行と語学力

お買い物に同行して下さい。

という依頼の中でもっとも多いのが「マルシェ」への同行である。

マルシェというのは毎週末、あるいは週に何回か広場や少し広い道路脇に立つ「朝市場」のこと。

地方から朝穫りの野菜や、魚が運ばれてくるのだからパリジャンにとっては生活必需店である。

私もだいたいマルシェで野菜を買うのが日常だから、「マルシェ」に付き合って下さい。と言われても、

「あ、ちょうどよかった。私も明日の朝はマルシェへ行こうと思っていたの」などと、ご近所同士のような返答をしてしまいそうになる。

最近はそんなことないけれど、言われてみれば渡仏当時はこのマルシェでの買い物がひどいストレスであった。

東京のスーパーマーケットで、キレイにパッケージされた宝石のような野菜を籠に入れて、レジへ持って行けば買い物は滞り無く済むのだけれど、ここパリのマルシェではそうはいかない。

何をどれくらいどんな料理に必要なのかを伝えなくては買えないのだ。

ハム(ジャンボン)玉子もチーズも野菜もすべて量り売りだし、じゃがいもなんて見たことのないほどたくさんの種類がある。

もちろん売り手は商売だから、商品の説明はプロフェッショナルで、迷ってるお客が居れば当然のように声をかけて助け船を出す。

フランス語がまだ怪しかったころ(まだ充分に怪しいのだけど)は、その説明が苦痛で苦痛で仕方が無かった。

でもまぁ住んでいれば買い物なんて日常のことで、いちいちはにかんだり、億劫がったりすることもなくなって、いまじゃしっかり

「あ、それじゃない、その隣りの形が崩れてないほうを頂戴。なにしろこれは今夜の招待客へ出すんですからね」

なんてことをパテ屋のおやじさんに注文したりするマダムぶりだ。

生活によってたたき上げられる語学力の良い見本である。

生活に密接している言葉からどんどん身について行くのが語学だから、逆を言えば「生活に密着していない言葉」というのはいつまでたっても上達はしない。

では私の場合、どういう状況の会話が上達しないか?

それは「高級ブティックでのお買い物」である。

お客様のリクエストで有名ランド店へ足を運ぶことも少なくないし、過去に二回だけヴァンドーム広場にある超高級宝飾店でのお買い物に同行させてもらったこともある。

しかしこれはつねに自分の財布を取り出す場面じゃないから、不思議と会話力は上達しない。

お客様のご要望を伝える。売り手の説明を伝える。双方の駆け引きが上手くいくように、それとなく軽い意訳をはさんだりもする。

でもいつの日も、そういう時の会話とか手応えは、あっという間に身体の中から流れ出てしまう。

けっして経験として留まらない。

おもしろいなあ。と思う。

ひょっとすると私は八百屋やパテ屋の親爺や、乾物屋のマダムから、食べ物を買うような顔をして

語学のレッスン実地編をしっかり買い求めているのかも知れない。

 

リピーターの親子様御一行

2年前にお子様達だけをお預かりしたママから連絡があり、今回はぜひ母子でお世話になります!とのこと。

嬉しいことに「以前は少ししかお話しが出来なかったので、今回はぜひたくさんお喋りをさせてもらいたい!」というリクエスト付きである。

私とお喋りをご希望。

というのはリピーターのお客様たちから良く受ける依頼であるけれど、そういうことはたいてい「以前ガイドで一日をまるまる一緒に過ごした事のある方」の場合。

お子様をお預かりするだけの玄関でのやりとりだけのお客様から受けたのは初めてのことである。

でもそんな風に言われて嬉しくないわけが無い。

「そーかーわたしとおしゃべりきぼーかー」などと頭をかきつつ大照れにてれまくって皆様をお迎えした。

彼女と同行のお子様二人も、二年前に比べたら随分大きく逞しくなり、

お母さんの彼女も母の自信と主婦の貫禄、女性の魅力に磨きがかかり、眩しいくらいの成長ぶり。

「おお!すばらしい!」と感激しつつお子様二人を抱きしめて、彼女といっしょに料理をする。

マルシェで買い物をした後に、滞在先のアパートホテルの台所でパリのお総菜をレクチャーする。

日本へ帰ってからも簡単に作ることの出来る食材をつかってフランスのお総菜を作る。

マルシェで買い求めたワインを片手に、お子様二人も巻き込んで、みんなで料理とお喋りと楽しい食卓である。

パリへのリピーターのかたたちは、観光じゃないパリ滞在を希望する。

だからおのずと滞在先は台所付きのアパートタイプのものだし、食材や日常品のお買い物も経験したい。

そしてできればパリ在住の知り合いとお喋りしてパリジャンタイムを過ごしたい。

と、強く願ってやってくる。

そんなとき、言葉の壁がなく気軽に喋れる私というのは、確かに手頃な存在だと合点がいく。

縦横無尽なネット世界から、強い御縁があって出会った私を、みなさま「手頃」というだけではない暖かさで使って下さる。

本当に嬉しいこと。

ガイドと顧客。というだけじゃない、

もうすこし違う親しみのあるお付き合いをくださる日本のかた達に心から感謝したくなるのは、まさにリクエストされた「お喋り」を実行しているその時なのである。